文芸日女道

ある研究者のカフェに来る人々の交流のお話(16)

最終回 今という永遠を生き抜く

4月中旬、緊急事態宣言による外出自粛要請の影響で、桜の名所である芦屋には、今年は人が集まらなかった。私は公共交通機関を利用しての通院をできるだけ避けるように病院から指導されたため、父が仕事を調整して、私を送迎してくれている。

車から見える桜は、今はもうすっかり葉桜になっている。

昨年末、カフェの常連さんに送ったクリスマスカードに、「春からカフェを再開したいと思っています」と書いていた。毎年、桜はカフェの皆さんと楽しみたいと思っていたので、私は「お花見カフェ」でルモワを再開させることを切望していた。秘書さんも「仁美ちゃんは骨の癌を抱えたままだけど、手術が終わって元気な姿を見せたら、皆さんに心配より安心を与えられるよね。再会したら話が尽きないだろうし、たくさん笑って免疫も上げなきゃ」と応援してくれていた。

昨年の12月に武漢で新型コロナの感染が確認されたが、それが世界的なパンデミックになるとは、三か月前には想像も出きなかった。現状では多人数のお茶会を開くことは自粛すべきであるため、カフェの再開は残念ながら無期限延期となった。

Aさんからは、俳優の志村けんさんの逝去のニュースを機に、秘書さんを通して、私を心配するメッセージが届いた。それと共に「こんな世の中になるなんて、思いも寄らずです」という言葉も添えられていた。

中皮腫を患っていたAさんのご主人も、一通りの治療の終了から5年が経過して寛解となっている。とても元気にされているものの、最近は「コロナで死ぬより、中皮腫で死にたい」と発言されるという。Aさんのご主人の場合、胸膜の切除の手術を受けているため、新型コロナウィルスに感染した場合には重篤化することが懸念されるため、不安な毎日を過ごされているのだろう。Aさん自身も、幼稚園も小学校も休校のままなので、仕事とお孫さんの子守の両立でとても忙しそうにされている。

Aさんのお話では、Bさんが世話人をされているアスベスト被害の患者と家族の会も、活動を休止しているそうだ。毎年4月に開催される「お花見」も中止になったため、今年はBさんの歌声をアスベスト被害者の方が聞く機会はないだろう。平均的な予後が5年といわれている中皮腫の患者さんにとっては、毎年のお花見で同志と再会することが生きる励みでもあり、お花見の中止は本当に残念なことだろう。今年参加予定だった方が、一人もかけることなく来年のお花見に参加できることを祈っている。

Cさんも新型コロナウィルスの影響で心細い日々を過ごされている。久しぶりにCさんに連絡をとったところ、「毎日一人で、誰とも会えないし、習い事も休みだし、不安ばかりだったので、久々のうれしい連絡でした。またひとみさんや皆さんに会える日まで頑張ろうと元気が出ました」というお返事が来た。

Cさんは癌を克服してからエレクトーンに復帰されていたが、3月の発表会は中止になってしまった。昨年のクリスマスには「ひとみさんはサンタさんに何をお願いしましたか?私は発表会の曲がライオンキングの曲なので、ライオンのなりきりグッズとかが来ないかなーなんて」と、ウィットに富んだメッセージを下さって、私のクリスマスが楽しくなるように配慮してくださっていた。音楽が大好きで練習熱心だった彼女にとって、発表会の中止はとても残念なことだったと思う。

また、Cさんが寂しくされているのには、家族と数か月会えていないという事情がある。Cさんの旦那さんと娘さんは、今は東京勤務をされている。旦那さんは東京と海外を往復していたため、娘さんは大学卒業後もお母さんの側にいるために関西の会社に就峨したが、新入社員研修後に東京に配属されてしまった。Cさんは友達に頼れなくなることや信頼している病院を変わらないといけないことが不安であったため、一人で関西に残り、頻繁に東京に行っては家族の時間を楽しまれていた。

しかし、外出自粛要請となったために、2か月以上家族に会えていない。「夏くらいには旦那と娘に会えればいいんだけど」と嘆かれていた。最近は一人暮らしの不安が大きくなり、「もしも発熱したら、車もないのにどうやって病院へ行こう」、「まだ入院できるのだろうか」等と悩み、心労から痩せてしまったそうである。

以前にもCさんは、「お風呂に入る時に、もしここで今倒れたらどうしよう、誰にも気づいてもらえないんじゃないかと不安になることがある」とも話されていた。亡くなったFさんも、独居の女性たちと「お風呂仲間」を組んで銭湯に通っていたことから考えると、独居のがん患者にとって無防備で孤立した空間となる入浴は、日常生活において不安が強いと推測される。

最近『100日後に死ぬワニ』という4コマ漫画がSNS上で話題になった。ワニの平凡で平和な毎日が、100日間かけてカウントダウン形式で投稿された。最終回の運命の日は「お花見」だった。漫画に描かれているのは、倒れこんでいる様子のワニ、小鳥、友人から届いた桜の写真が表示されたスマホ画面……花見に向かう道中で、ワニが小鳥を庇って事故に遭って死んだことが示唆された。

ワニが最後に、スマホを通して、大切な人たちと言葉を交わせたのかは分からない。

私たちは明日が来ることが当然のように日々を過ごしているが、「今」というときがいつまで続くのかは、誰にもわからない。

カフェに参加されている人は、癌を通じて、「当たり前ではない明日」を経験された人がほとんどである。

私自身も乳癌を患った時に、上司の教授から「癌は再発と転移がつきものやからなぁ、これから一生の長い戦いになるで」と言われた。その時までは、一通りの治療を終えて研究やボランティアに復帰することを当然のように考えていたが、既に癌が胸骨に遠隔転移をしていた私は、「治療を終えることがゴールなのではなく、癌と共存する新たなスタートなのだな」と感じた。

私が終末期医療の研究会に参加していた際に、ある先生から「がんで死ねるならば幸せ」という話を聞いたことがある。

災害や事故の際には、お別れの準備や最期の挨拶の機会がない。しかし、がんは死に至るまでの時間がゆっくりと進むため、自分がどう生きて、どのような幕引きをしたいのかを考え、最期の日に向けての整理をすることができる。

私は癌を告知されても気分の落ち込みはあまりなかった。むしろ「今」を精一杯生きることに必死になった。確かに、私の同級生よりは長く生きられず、経験する痛みの量は多くなるかもしれない。しかし、「人生の過ごし方」を、同級生よりも充実したものにする可能性は残っている。家族や友人や同僚との時間も濃密なものになるかもしれない。

また私の場合は、2年先まで毎月何かしらのスケジュール(学会や研究会等)が入っていることが、大きな励みになっていた。副作用が弱まった時に学会の準備をすることは楽しく、研究会議やインタビューの際には骨が溶けている激痛を忘れることができた。

自分の居場所、戻るべき場所、そして待ってくれている人の存在は、本当に大きい。家族が私の闘病を全面的にバックアップしてくれて、秘書さんが私の研究基盤を守ってくれた。そのおかげで、癌により私のアイデンティティが揺らぐことはなく、やりたいことに優先順位をつけた上で、実現していくことができた。

もちろん、やりたかったこと全てができたわけではない。闘病により諦めたこともたくさんある。その―つは、「カフェの参加者と『がん哲学外来コーディネーター養成講座』に参加すること」だった。この養成講座では、全国の医療者、癌サバイバー、患者家族など、癌に関心を持つ人々が集まって、カフェの趣旨や理念を学ぶ。毎年7月に開催され、他のカフェの運営者とも交流できる貴重な機会となっている。

昨年、川越で開催された養成講座には、カフェの常連参加者のKさんと参加する予定であった。

Kさんは脳腫瘍の経験者で、2018年の12月から、ほぼ毎月のカフェに参加してくださっている。彼女は自身の闘病中に第三者に話を聞いてもらうことが心の支えになった経験から、病を抱える人の思いや話を聴くことで、闘病している患者本人や家族の役に立ちたいと考え、コーチングの勉強もされていた。そして彼女は、なんと『文芸日女道606号』のエッセイを読んで、「カフェについてもっと知りたい」、「将来は自分で運営したい」と感じて、養成講座を申し込んだそうである。

私は2017年、2018年と連続して養成講座に参加したが、6時間に及ぶ講座の後はいつも興奮している。養成講座での経験を今後どうカフェに生かすか、同志の想いをどう継いでいくべきか、そして何より私自身の運営者としての在り方を考えさせられるのだ。その日の夜は頭がギンギンに冴え、カフェを通じての新たな出会いに胸が高鳴り、眠れなくなるのが常である。そして「今の興奮や緊張を誰かと共有したい」という気持ちになる。

長年講座に参加している方や首都圏での活動者は、再会を喜び合いながら講座後にお酒を交わされたり、思い出作りに観光されたりする。しかし、若年の新入り運営者で、カフェが少ない兵庫県民の私は、そのような光景を2年連続で羨まし気に眺めていた。

2019年もどうせ一人ぽっちの参加になると思っていた私は、Kさんから「私も申し込んでみました」と聞いた時には、飛び上がるほど嬉しかった。

「講座後に感情の共有ができる!」

Kさんと同じホテルを予約し、「講座後には是非一緒にお話がしたい」とKさんの予定も予約し、講座の翌日の市民学会にも朝食を共にしてから会場に向かう約束をした。まるでパジャマパーティーを待ちわびる子供のように、私は当日を心待ちにしていた。

しかし、2019年6月、私は乳がんの診断を受け、7月には抗がん剤治療が開始したため、養成講座に参加できなくなってしまった。Kさんも「不慣れな土地で、1人での参加は心細い」と参加を断念された。とても悔しく、Kさんに「治療を終えたら、来年の養成講座は是非ご一緒させてください」と連絡をした。

例年ならば2月に養成講座の開催地が発表されるが、今年は新型コロナの問題があり発表が遅延していた。3月21日、「新型コロナウィルスの影響で中止もしくは延期の場合もある」という但し書き付きで、今年の開催地がHPにて発表された。群馬だった…あぁ、今年は遠すぎる。出張慣れしている私はともかく、主婦のKさんが参加するには不便すぎる。

Kさんとの講座参加の楽しみは、来年以降にまた延期となった。それと同時に、「2021年7月まで元気でいること」が私の目標に加わった。

闘病生活中には、嬉しい新たな出会いもあった。

1月末の手術後にはDさんが、研究協力者の医師の紹介をしてくださったのだ。退院祝いが研究の準備というのは少し奇妙かもしれないが、私にとってはこの上ないご褒美だった。

私は、文科省科研費研究で不妊治療に関する研究をしている。近年では精子提供や卵子提供によって生まれる子が増えているが、日本国内ではそのような子に対してのカウンセリングやフォロー制度が整備されてない。私は、彼らが遺伝子上の親が自分を育ててくれた親ではないという事実に直面した際に、アイデンティティの危機に陥らないための告知の在り方を研究している。

そして、精子提供や卵子提供が日本国内で行われているオーソドックスな治療ではないことから、産科・婦人科に携わる医療者が当該治療についてどのような考えを持っているのかを調査する必要があった。しかし、忙しい医療者にインタビューを申し込んでも断られてしまうことが多く、私のインタビュー調査は難航していた。

そのような状況を知ったDさんは、自身の産婦人科医としての人脈を辿り、私の研究に協力的と思われる産婦人科医を探してくださっていた。そして2月16日にDさんが開催してくださった食事会で、研究協力を名乗り出てくださった先生方との対面が叶った。

Dさんは「私の紹介が貴方の研究に役立ったら、こんなうれしいことはないわ」と言ってくださった。今は3つの「密」と不要不急の外出を控えるべき観点から、インタビュー調査を自粛しているが、Dさんが私を信頼して大切なご友人の先生を紹介してくださったことに感謝し、必ずインタビューを研究成果に繋げたいと思っている。

活動の自粛といえば、悪性リンパ腫の患者会をしているMさんもまた、患者会活動の自粛を余儀なくされている。

Mさんは末期癌の経験者で、悪性リンパ腫の告知を受けた時に「余命数ヶ月」と言われたという。彼女は癌が寛解してからは、ブログと患者会を発足した。そして3年前からは乳癌患者のための手作り下着のワークショップも開催している。一度彼女のワークショップに参加させて頂いたが、女性ばかりでわちゃわちゃとお話をしながら手芸をする時間はとても楽しかった。そのため、一昨年の12月はルモワが協賛する形で西宮でのワークショップの開催もしていただいた。

彼女は昨年からは、手作り下着の改良もされている。癌患者全般を対象に、「着用したら呼吸が楽になる下着」にすることを目指している。Cさんにもアドバイスをもらいながら、より手軽に着用が出来て、より身体にフィットするよう、肩ひもの設置やマジックテープの活用を検討し、試作品を作っては、自身で着用して血中酸素濃度を確認されているようだ。

私自身も癌の当事者となったので、積極的にアドバイザーを務めなくてはと思っていたものの、昨年は抗がん剤治療に追われていて(厳密にいうと、手を替え品を替え襲ってくる副作用を克服するのに精いっぱいで)、ゆっくり彼女とお話をする時間がなかなか取れなかった。しかし、放射線治療に入る前に、抗がん剤の副作用や手術の傷も落ち着いて一息つくことが出来たため、久々に彼女と長時間の連絡を取った。

Mさんは本当に変わっていなかった。相変わらず純粋でエネルギッシュな主婦である。少しでも医療現場を知り、患者会に活かせる経験と知識を身につけるために、昨年の夏からは西宮市内の公立病院で病棟クラークとして働かれていた。

彼女に「患者会やワークショップが開催できなくて残念ですね」と話したところ、「ワークショップはできないけど、今私ができることを見つけたんです」と話された。

ここからは彼女のLINEをできるだけそのまま引用する。

「実は今、病院はマスクの在庫が切れてしまい、布マスクを配布されているんです。兵庫県は備蓄マスクが十分あると言われていたので特に対策は取ってなかったようなのですが、知事が100万枚中国に寄付してしまったせいで急激に足りなくなってしまったんです。全く何を考えているんだか・・・。で、師長さんがダブルガーゼでプリーツマスクを縫って、ナースさんたちに配っているんですよ。でもダブルガーゼが売り切れていると困ってらしたので、少しお貸ししています。かなり喜ばれています。しばらくコロナが落ち着くまでは、ダブルガーゼの有効活動に貢献したいと思っています。」

どうやらワークショップの材料用に集めたダブルガーゼを病院に寄付されていたようである。Mさんらしいな、と感じた。

今月はカフェを旅立ったTさんからも、夙川の綺麗な桜の写メと共に嬉しいメッセージが届いた。なんと社会福祉士の国家試験に合格したそうである。耳下腺癌が再発した際に、「何か役に立ちたい」と思い立って、通信制の大学講座を申し込んだTさん。彼女は手術を終え、教師にも復帰し、目標であった社会福祉士にもなった。

ルモワ参加者は前向きな人ばかりで、「今」を力いっばい生きる姿はキラキラとしている。

本エッセイは今月で一度最終回とさせていただくことにした。そしてカフェの再開と共に、新連載を開始したいと考えている。

全16回、一年半に渡り、皆様に『メディカル・カフェ Le Moi(ルモワ)』の一コマを紹介させて頂いた。執筆中は原稿を読んでくださる方をとても近くに感じ、エッセイを書くことは私の月課となり、紙面を通じて届く皆様の声は私の宝物だった。私の拙いエッセイにコメントを寄せて下さった方には、心からのお礼を述べたい。姫文を紹介して下さった元田さん、毎月サポートをして下さった中野編集長、会計の坂根さんには感謝の気持ちしかない。そして私を素敵な居場所へ迎え入れて下さった会員の皆様には、いつの日かお目にかかりたい。

必ずいつかまた、エッセイで再会を致しましょう!

そして再会の日まで、今という永遠を、少しでも輝かせながら生き抜くことができますように。

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