元田 武彦
縮小社会研究会生物多様性分科会は2015年3月にスタートした。当初から私が世話役をしており、年に3〜4回の頻度で開催する分科会です。入澤仁美さんは3回目から毎回参加されるようになり、進んで事務局を買ってくれました。いつも電車から連絡を入れながら、時間ギリギリに参加されます。参加して間もなく、「この分科会に初めて安心できる居場所を見つけた」とまるで救世主に出会ったようなメールをいただき驚いたことがありました。
仁美さんは、当時遭遇していたストーカー事件についても詳細に教えてくれました。彼女は自分の魅力が周囲に及ぼす影響についてほとんど気がついていなかったようです。私は、何故だか多部未華子を例にひき、もっと注意するように助言したことがあります。
しばらくして仁美さんの発案により分科会の冊子を発行することになり、始めての打ち合わせを芦屋駅近くの行きつけのレストランで行いました。「いつもおばあちゃんの世話をしている」と言いながら、慣れた手つきで料理を取り皿に分ける様子を昨日の出来事のように思い出します。冊子発行の手順、執筆者から、高齢者向けの文字サイズ、フォントまでテキパキと決めていき、今さらながら頭の良さに感心させられました。
入澤仁美さんが、同人誌に連載ものを掲載したのは2018年10月から2020年6月にかけてです。掲載した総合文芸雑誌「文芸日女道」は創刊以来659号を数え、毎月発行している稀有な同人誌です。私は10年以上投稿を続けていますが、書き手は播州平野を中心に日本中から寄稿されています。仁美さんを編集長に紹介したのは2018年の夏頃で、丁度、2冊目の生物多様性特集号が印刷に入った頃です。
私はその当時、文芸日女道に「χ君の物語」を連載中でした。χ君は仁美さんをモデルにした未来のスーパーインテリジェンス型人間ロボットで、数々の社会の難問を解決する物語りです。文章の性格上、仁美さんには毎月原稿チェックをお願いしていました。当時、彼女は毎月開催している「がんカフェ哲学外来」の活動を市民に広く知ってもらえる機会を探していました。そんな仁美さんにとって、文芸日女道は格好の媒体でした。多忙な中での連載は16回に渡り、楽しんで執筆されている様子がよく見てとれます。論考とか、ルポルタージュとは違った仁美さんの素顔がうかがえます。
「文芸日女道」に掲載当初は、冊子の目立たない位置でしたが、3回目には最も目立つところに位置付けされてきました。内容がリアルで独創的なこと、シビアーな内容を分かりやすくて丁寧な語り口で表現されていることが評価されたものと思います。忙しい中を、「少しでも分かりやすくなるように、締切間際まで何度も原稿の校正をしています。」と言っていました。
連載した16編は、それぞれ仁美さんの人柄や思想を反映した貴重なものです。16編全て掲載することも検討したのですが、冊子のバランス上、そのうちの7編のみを選定して掲載することにしました。
文章は文芸日女道の原文をそのまま縦書きから横書きに変更し、その1、その2、その3、その4、その5、その6、その7と銘打って、投稿の順番に掲載させて頂きました1)、2)、3)、4)、5)、6)、7)。総合タイトルは、「文芸日女道」に掲載通り「ある研究者のカフェに来る人々の交流のお話」としています。
生物多様性分科会は、入澤仁美さんによって魂が入り、その訃報とともに28回に渡る分科会活動を終焉しました。七年間もの間、仁美さんと歴史の一コマを共有できたことはこの上ない財産となっています。
引用文献
1)その1 メディカルカフェ Le Moiの始動 文芸日女道 606号 2018 年11月
2)その2 これからをどう生きるか 文芸日女道 612号 2019 年 5月
3)その3 紅茶の香りとともに 文芸日女道 614号 2019 年 7月
4)その4 主催者の闘病生活の開始 文芸日女道 616号 2019 年 9月
5)その5 自分なりのアピアランス・ケア 文芸日女道 619号 2019 年12月
6)その6 手術入院中の嬉しいサプライズ 文芸日女道 623号 2020 年 4月
6)その7 最終回 今という永遠を生き抜く 文芸日女道 625号 2020 年 6月