紅茶の香りと共に
今日は紅茶の茶葉の香りに包まれ、ジンジャールイボスティーをいただきながら、本原稿を執筆している。私は地元の紅茶専門店Uf-fu (ウーフ)に居るが、ここは昨年の「お花見カフェ」の会場である。オーナーと店長とは開店時からの一七年来の付き合いで、私の高校の頃からの成長を見守っていただいている。
昨年「桜が見える場所で、お茶を楽しみながらカフェ参加者と過ごしたい」と考えた際に、真っ先にUf-fuの存在が浮かんだ。桜の木の老化に起因する倒木等の事故を防止するために、芦屋市内の桜の名所にある多くの桜が切られてしまったが、Uf’fuの窓から見える大きな桜の木は残されていた。
昨年のお花見カフェでは、オーナーの御好意で貸し切り営業にしていただき、退しく咲く桜を見ながら8種類の紅茶を聞き茶した。スタッフの方々は「センシティブな話を聞かれたくないかもしれない」と紅茶を運ぶタイミングまでも気にかけて下さっていたが、紅茶が出るたびに「おいしいね」、「香りがいいね」と歓声が湧き、楽しくて美味しいひと時を共有することが出来た。
今日の窓から見える桜の木は、緑の葉を茂らせていて、「来年もここで咲くぞ」と言っているようにも見える。
私は研究の一環で、「病院や医療施設にもアートを」と主張しているが、それは体調が優れないときにこそ五感の刺激を大事にしてほしいと感じているからである。私が過去に入院したとき、病室は真っ白で殺風景で、精神的に入院拒否状態になりそうだった。日本は白を衛生的な色と捉え、白を基調としている医療施設が多いが、海外では色彩を取り入れている施設が多い。アメリカでは検査機器に絵が描かれていたり、イタリアではホスピスが美術館の一部になっていたりする。
高齢者の方からは、「消灯後の静かで暗い時間が怖い」、「入院したら天井とカーテンしか見えない」、「病院食の器が食欲を無くす」というような発言をよく聞く。入院患者の誰もが、自分の好きな香りや色彩に包まれたいと感じることがあるのではなかろうか。
しかし、日本の病棟では香りの強いものを利用することが出来ず、音楽を聴くにもイヤホンになってしまったりと、いろいろな制約が伴う。日常生活では普通であった近所の子どもの声や晩御飯の準備の香りも、入院生活においては非日常となってしまう。実際に、入浴剤の森林系の香りが好きで、家族に森林の香りのバブを届けてもらって、お湯を入れた洗面器に砕いたバブの欠片を溶かし香りをこっそりかいで安心したというがん患者の方がいた。日常生活では意識することがない香りでも、私たちの生活の一部となっていることが多い。
昨年の夏からカフェに来ているEさんは、昨年末に患者家族から患者遺族へと立場が変化した。
Eさんの御主人は、末期と診断されたがんを一度克服している、所謂「がんサバイバー」であった。約6年前、前立腺がんのホルモン治療中に、食べ物が詰まりやすい症状が出現し、食道がんが見つかった。検査結果を待っている一か月弱の間に、がんが急速に進行して食道から胃にかけて袋のように広がり、食べ物がほぼ何も通らない状態となってしまった。そのため医師からは「絶食をしている修行僧のような状態」とたとえられたそうである。
御主人の緊急入院が決まった時、医師から「好きなように過ごしてください」と言われたため、Eさんはまずコーヒーとお茶を病室に持ち込んだそうである。毎日病室に泊まり込み、朝昼晩に必ず御主人の手足をマッサージして、夜は病室の硬いベンチで就寝した。御主人はゼリーや少しの水分しか摂取できなかったが、食事の時間には御主人の好きなお茶やコーヒーを必ず用意した。Eさんは昼食の時間まで一緒に過ごしてから、洗濯と犬の散歩のために一時帰宅して、夕食前の時間には再び病室に戻るという生活を数か月間繰り返した。御主人もEさんと一緒に食事をすることを目標に、固形物を食べるための喋下練習に必死に励まれた。
約3か月間の抗がん剤と放射線治療の後、御主人の誕生日に主治医からは通常の病院食が運ばれ、「これが誕生日祝い!」と言われた。その後、二人三脚の入院生活も終わり、御主人のがんは寛解し、日常生活にも社会生活にも復帰された。
Eさんは「あの時、好きなように過ごしていいと言われたから、コーヒーメーカーを持ち込んでしまったけど、本当はダメだったみたいなんです。主治医は主人が長く生きられないと思って、当時は許可してくれていたみたいで」とEさんは語られていた。Eさん夫婦は個室を使っていたために自由がきいたが、最近の相部屋ではインスタントコーヒーすら禁止されていたりする。
御主人が末期がんを克服できたことは、Eさんの献身的な介助だけでなく、コーヒーの香りやEさんの声や肌の温もりというような、日常生活で慣れ親しんだ五感の剌激を失わせなかったことが大きかったと私は感じる。
Eさんがカフェ利用者となると同時期に、御主人は重度の肺炎で入院された。Eさんは車で片道一時間かけて病院と家を往復する生活を再開させることになった。気管を切開したために御主人が話すことができなくなり、Eさんは「できる限りのことをする」と決意された。
カフェの日の夜に御主人の容態が急変し、医師から延命措置に移行する旨をと宣告されたこともあった。しかしEさんは御主人の反応がない時でさえ、いつも通りに過ごすことを諦めなかった。話しかけ、マッサージを続け、夜には御主人の大好きなちあきなおみさんの曲を耳元で流した。数日後、御主人の意識は戻り、目や表情で意思疎通もできるようになった。それから約一か月後の看取りの瞬間まで、Eさんは御主人の温もりに幸せを感じていたという。
先月のお花見カフェでEさんは、「私、主人を看取れて幸せでした」、「主人が癌の時は誰にも話せなかったんです。今回はカフェがあって、話せる場所があって助かりました」と話して下さった。Eさんは皆から頼られることが多く、誰かをもてなすことは多くても、もてなされる機会は少なかったという。「私はあなたのもてなしを受けたくてカフェに通っていたかもしれません」とも言って下さった。
私は毎月のカフェで、毎回季節感を意識した茶菓子を選び、ただただ参加者の物語と時間に寄り添うようにしているだけである。それが誰かの支えになるならば、カフェ冥利に尽きる。先日のアンケートに「利用者が少ない日もあると思いますが、どうか年末の二年を目標に活動を続けて下さい」という言葉があった。もちろん、今年の年末も、来年の桜の時期も、皆さんと共に過ごすつもりである。